自己を振り返る

いきなり本題を書きます。
かなり重たい内容なので、お気楽なものがよい方は、いつものことながらスルーしてください。



      ・・・・・・



      ・・・・・・



http://sosakushitu.at.webry.info/200902/article_3.html

このURLはこのブログの一番最初の記事のもの。



・・・・・・今朝、目が覚めたとき(さっきだけど)頭の中でつぶやかれた言葉があった。

今、出版を目的とした原稿を書いているのだけれど、
そう、それも出版などはできるかどうかも分からないのに、
そして、さまざまな壁があるというのに、

・・・・・迷いはあるけれど、とにかく、本気で書くことにしたのだ。


でも、この想いは、少なくとも、2009/02/11 03:21より前から、私が願っていたことだった。
あの頃は、なぜそのように強く思うのか分かっていなかった。

・・・・・・ふ~~何から書けばよいのだろう。

頭の中でつぶやかれた言葉は、原稿を書き始めたから分かったことだと思う。
「文章を書く」ということは、それも、特に私は、自分の感情を書くということだ。
自分の感情を書くためには、自分が何を考えているのかを
無意識の部分から、意識へ引き上げてこなければならない。

もともと理論的な思考回路ではない私は、直感的に考えるので、
たぶん理論的に物事を考える人にとっては、何を言っているのか分からないのだ。

もちろん、それを自覚しているから、
今も、なるべく分かりやすい文字並びは何かを意識しながら書いている。

ただ、勉強の国語の点はよろしくなかったので、文法的なことを言われると、それはお手上げだ。


だから、直感的な、そして、『ニュアンス』を読み取れる人でなければ、
私の文章は、何を書いているのか分からないのかもしれない。


私にとって、書くことは、心の癒しだ。
子供時代に埋め込まれた心の綻(ほころ)びを、紐解く手段なのだ。

たぶんこれが、最大の目的なのだと思う。

我が子に伝えたいことがある・・・というのは、この延長線上の気持ちにすぎない。
ずっと探してきた。
奥深くに刻まれた心の傷の特効薬を・・・・・。

他の人から見たらかすり傷にもならないような傷だと思う。

でも、私という人間にとっては、それが傷になってしまった。
そのことが嫌で嫌でたまらなかった子供の頃。

なんとかしたかった。

それゆえ、さまざまなことにチャレンジした。
それは、たいてい多くの人が嫌がることだった。
それが、リーダーのポジションに付くことだった。

そんな実力・・・持って生まれた・・・そんなものはなかったと思う。
でも、そのポジションについていくうちに、そこで使用する技を身につけていった。

いつしか、そのポジションを気にいっている自分に気づいた。

でも、家族の中では、そのポジションはなかった。
私はいつも小さくなって「いい子」を演じていたのだ。

子供の頃の私には負い目があった。
自分が病気になって家族に迷惑をかけているという負い目・・・(涙)・・・・そう、ここで涙がこみ上げるということは、これが答えということだ。

自分のせいではない病気という名の敵。

でも、結局のところ自分がかかってしまっているのだから、自分の責任になっていたのだろう。
今では、元気だ。
普通の生活が送れる。
このようのことを言わなければ、誰も分からない。

ではなぜ、書くのか。
それは、知ってほしいからだ。
今の私は、昔から今の私ではなかったということを。

今回の原稿のテーマは、(タイトルではない)「自分には越えられない夢がある」と思っていた人が「夢は実現するためにある」ということを実感したので、それを伝えることだ。


それには、昔の私と、今の私を比べればならなかった。


どれだけ、その辺にいるような人が、今の私になったかということを見つめなけれなばならなかったのだ。
今まで、ここでこれだけの深部の部分を書いたことは、確かなかったと思う。
それは、隠しておきたい部分だったからだと思う。

なぜ隠しておきたいのか・・・?・・・
?なぜだろう?

認めたくなかったのかもしれない。

昨日、息子が見ているアニメで「神のみぞ知る・・・」とかいうアニメを見た。
たぶん、それが影響しているのだろう。
あることが分かったのだ。

そう、「自分を認める」ということ。

今までだって、認めてきたつもりだった。
でも、それにも限界があるのだ。
昨日、具体的な何かに気づいたのだろう。


過去全ての自分がいたから、今の自分がいる。
でなければ、今は生きてはいない。

こんなことは当たり前のことだけれど、たいてい、当たり前の日常を送っていたら考えないことである。


今、過去の自分を乗り越えるために挑戦している出版を目的とした原稿作りは、
私にとって、スポーツ選手がオリンピックを目指して練習しているようなものだ。

高い目標を掲げることでしか、たどり着けない場所がある。
これは、ビジネスの世界でも同じだ。

そう、今ここで、このことを自信を持って言いたいために、
この2年、死に物狂いで勉強してきたと言ってもいい。

今の段階では、知識が入っただけ。
これでは、説得力はない。
だから、今後は実績を出して、なんとしても『自信』を手に入れたい。

誰かのために何かがしたい・・・・・

この想いも正直な気持ちだ。
でも、心の奥底では、自分のために動いている思考もある。
プラスとマイナスの想い。

マイナスの想いも、実は大切なのだ。
これは、ビジネスと一緒に心理学も学んできたから言えること。

この2年、夢の中でも考え続けてきたことだ。
そう、私の場合、自分が達成したいことは夢の中でも考える。
家造りでもそうだった。

気違いなのだ。

これが嫌で、人前では「普通の人」を演じてきた。
家族の中で「いい子」を演じていたように。

では、それで幸せだっただろうか?

そうではなかった。
孤独だった。
孤独という闇が心を覆っていった。
遥かかなたに、針の先ほどの点に見える光があるだけの闇の世界。
これが、私の子供時代の心の世界だ。
傍目には、何でもこなせる幸せな「よい子」だったが・・・。

では、今はどうだろう。

心の世界は、光で満ちている。
爽やかな風が流れる。
自然が奏でる、耳に心地よい音が聞こえる。

空は青く、海は輝き、
雲を切って、大きな白い羽で力強くはばたいている。
どこにでも飛んで行ける。
どこにでも着地することができる。

!でも・・・そういえば、この心の世界には、自分の存在しか感じない。

自分と自然。
見えるのはそれだけだ。

なぜだろう?

今では、大切な人が増えているというのに、その人達が存在していてもいいはずなのに・・・?
・・・たしかに、心の中で話しかけると答えてくれる人はいる。
でも、それは、別の場所から聞こえてくるのだ。

そうか!

別の道を進んでいるから、同じ心の世界でも姿が見えないのかもしれない。
声は確かに聞こえるのだから・・・・・・。


このようなイメージは、訓練することによって見ることができるようになる。
知識のない人が、このことを聞くと「頭がおかしくなったのか?」と思ってしまうだろう。

でも、知っている人は知っている。

例えるなら、スポーツ選手のイメージトレーニングと一緒だ。
自分の成長を促進するための訓練なのだ。

「思考は現実化する」ナポレオン・ヒル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB

へ~~~そうなんだぁ。
初めて検索して、内容を読んだ。

人の歴史には文化がある。

このことは、編集者から教えてもらったこと。
?人の歴史そのものが文化、ということかな。
まだ、理解しきっていないのかもしれない。


夢を持つことは、諦めを前提にするのではなく、
叶えることを前提にした時、その夢は実現していく。

願い、信じること。

それも、計算されたものでなければならないということ。
ただやみくもに願い信じても、何も変わらない。

「願う」・「信じる」という技があるのだ。


私は、持って生まれたこれらの素質があったのだと思う。
でも、コントロールの仕方を知らなかった。
これらに手を焼いていたと言ってもいい。

持っていない方が苦しまなくてもいい場合もあるのだ。
でも、私から離れていくことはなかった。
いつしか、それを無意識レベルで感じた私は、
なんとかコントロールしようと挑戦し続けた。
でも、それは、自分だけではどうしようもないほど難関だったのだ。

それゆえ、開かずの間と開かずの箱にしまいこんでしまったのだろう。
諦めてしまいたい自分がいたのだ。
それに、それを持っている人を見つけることができていなかった。
だから、自分が「おかしいのだ」と、考えずには居られなかった。

でも、見つけたのだ!
出会ったのだ!

そして、その後は、たくさんの人と出会っている。

だから、もう、一人ではない。
孤独ではなくなったのだ!


自分が、日常で生きている世界で、接する人は少ない。
でも、世界には多くの人が生きている。
だから、多くの人と接すると・・・?
この接していくやり方・・・技でもあるのだが・・・効率よく、素晴らしい人達と出会うことが可能になる。

もちろん、生半可な気持ちでは、この技は習得できない。

『勇気』

という名の手ごわい感情を操らなければならない。
これらの感情は、全て自分のものだ。
他人の物ではなく、自分の感情を操っていくのだ。

先日出会った『自分を導く』という言葉に置き換えてもよい。

「答えは自分の中にある」
って、誰かが言ったのだと思うが、誰だったっけ?なんかとても有名な人のはず。
Iさんも言ってた。私が聞いた最初の人だ。
その後の勉強で、この言葉を見かけるようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんだか、話が脱線してしまったような・・・?
何が言いたかったんだっけ?

そうそう、原稿を本気で書いてみて分かったことは、自分の中の許せなかった部分の分析が進んで、
それらのかたくなな心が溶かされてきた感じ、ということが伝えたかったということ。

この「許し」も、学んできたことだ。
それでも、許すことができないものがあった。

でも、原稿を書きすすめるうちに、今までの学びも集約されて、
その意味が理解できるようになってきたのだ。

憎むことなど何もない。
そして、辛いことも楽しいことも、今の私になるために出会ってきたことだということ。

「全てのことに意味がある」

この言葉もIさんが教えてくれた。
私もそう考えていたけれど、同じ考えの人を見つけることは出来なかった。
まして、言葉でそれを言ってくれる人はいなかった。


そして、今、私は自信を持って言える。
さらに、きっと、・・・原稿を書きあげたら、今以上に自信を持って言うことができるようになるだろう。

揺るがない心を獲得した言葉には、魂が宿る。
魂が宿ったものは、想像できないほどのエネルギーが発せられる。

これが、オーラになる。

このオーラは、会っていなくても、同じ波長のオーラを持つ者を引き寄せ、
その思考を感じることができる。

・・・あらあら、これまた、気違いじみた域になってしまった・・・

でも、やってみたら分かる。
実際にそのような人がいるのだから。

私など、まだまだだ!
もっと、もっと訓練が必要だ。
レベルが高くなればなるほど、休むことさえできない。
?休むことはいいのか・・・やめることができないというべきかな。


何事も、本気でやらなければ分からないことがある。


これを、今も学んでいる。
何か新しいことに挑戦するたびに、これを思い知る。
失敗からも、成功からも、同じようにためになることを学ぶことができる。


机上の理論も大切だけれど、実際に自分で試すことによって、
その理論が自分の技となる。

この技は、魔法のようなものだ!
過去の私にとって、いくら頑張ってもできなかったことなのだから。
そして、気づくことさえなかった。

目の前にその技があっても、
目の前に大きなチャンスが転がっていても、
目に入らなかった。

今は、自分が扱うことができない技でも、見ることはできる。
もちろん、見えないものもまだまだたくさんあると思う。

でも、見えたものは真似をして、訓練し続けたら、たいてい習得できる。
それには、時には傷だらけにならなければならないかもしれない。

でも、自分が、本気で手に入れたいと願えば、手に入れられる。

その時の自分では無理かもしれない。
でも、未来の自分は手に入れているかもしれないのだ。




自己分析は、心の癒しでもある。




・・・・・もしかしたら、自分を知る手段を知らないために、自分自身を傷つけている人が多いのかもしれない。
私の過去を思い出したとき、そうだった気がする。

でも、私は変わった。

過去の私は、この変化にも恐れおののいていたが、大丈夫だった。
『変わらないもの』も、ちゃんとあるのだ。
変化とは、成長なのだ!


人間は、本来、成長することに喜びを感じるはず。
赤ちゃんを見ていたら、それが分かる。
もし、成長することに喜びを感じなければ、赤ちゃんは何もしないはずだ。

赤ちゃんや幼い子供達の成長意欲を吸収しよう!♪

そうすれば、体は大人になってしまった自分も、成長速度を加速させることができる。



今、我が子達はダブル入学を終え、毎日新しい生活に挑んでいる。
精神的に浮き沈みが激しいが、
その日、成長できた時の息子と娘の瞳の輝きは、本当に素敵だ!

『生きている』

ということを感じさせてくれる。
キラキラと、本来の人間の喜びとはこういうものなのだろう・・・ということを気づかせてくれる。

娘は、昨日、友達の家に遊びに行って、そのお家の人に質問をされた。
私はそばにいた。

「○○ちゃんは、勉強好きそうだよね。」

娘「うん♪大好きだよ\(^o^)/」
と答えていた。
その表情を見たとき、本当に好きなんだなぁ・・・と感じた。
嬉しい瞬間だった。

息子の時も、私の編み出したやり方で、極力、「勉強=楽しい」という感情を植え付けていた。
勉強=たいへん、とか面倒というものではない。


娘の場合、私が凄まじく勉強をする姿しか見ていない、と言っていい。
それが、普通レベルなのだ。
それに、息子も加わり、勉強とはたいへんなようだけれど、何やらとても楽しそうなものだ、
ということを、娘は感覚で身につけている。

息子とする話題は、中学1年生と交わすものではない、と思う。
息子は、「異常」という(笑)

でも、それがこの上なく楽しい♪
時間があれば、いくらでも話ができる。
娘にとっては、これは、よく分からないことでもあるので、少々つまらない時間になる。

でも、その楽しさの雰囲気を感じるだけでも、何やら楽しいらしく、
自分の言いたいことがなければ、黙って聞いている。

そして、時々、こちらが目を見張るような事を言い、私と息子を唖然とさせる。
「本当に意味分かって言ってるの?」
と聞いてみたくなるほどに!


私が子供達に接するとき気をつけていることは、
子供の体を持った人間と話すようにしているということ。

これは、生まれたときから・・・お腹の中にいるときからそうだったと思う。

まぁ、このように気をつけていても、息子には指摘されるのだから、
本当に子育てとは難しいものだ。

お互いが成長しているのだから、その都度確認をしなければ、ズレるのだ。
このことも、家造りでIさんに教わった。

このおかげで、思春期の息子となんとかうまくやっていっている。
これができなければ、良質なコミュニケーションはできない。


なんだか、ずいぶん書いたような気がする。


原稿を書いていると、煮詰る時もある。
何気なく書く作業ではないので、脳内が捻じれそうになるのだ。

それをほぐすために、片づけをしたり、このように、気ままなことを書く。
筋肉が硬直すると、試合本番でうまく結果が出せないように、
考えることも一緒だ。



よく、「時間がない」という言葉を耳にする。
たしかに、時間とは、歳をとればとるほど流れるのが速くなる気がする。

でも、それは言い訳なのだ。

私も、この時間を作り出すために、さまざまな工夫や、
時には我慢をすることがある。

さらに、それ以上の時間をはじきだそうと思ったら、尋常な思考回路では無理だ。

誰かの真似をしていたのでは、時間は作り出せない。
自分流の、自分にしかできない、自分の可能性を信じた時間作り。
これができて初めて、尋常ではない時間を手にすることができるのだ。


まず、自分を甘やかしたら、そこでおしまいだ。
無駄な時間があっという間に流れる。
その流れたものは、もう二度と戻ってくることはない。

甘やかすことと、休ませることは全く違う。
「休む」ということは、重要なことだ。

休むことに集中できた時、それと同レベルで、生産的な集中も可能になる。
でも、この「OFF」という集中は、なかなか難しい。

すごい人達は、これがうまい。
そして、このOFFから、さまざまなアイディアを生み出す。
脳が楽しいときは、アイディアが湧き出てくるものなのだ。

?湧き出る?ではないか・・・・・。

閃きやすい、と言うべきかな。



さて、コップの水をずいぶん流した。
かなり空っぽになったと思う。
頭がスッキリした!

これも技だ!

もやもやとしていたものを吐き出すこと。
それができると、次へのステップがやりやすくなる。


今日は、早起きだったから、まだ、何かできるな。
やることは山ほどある。

それに、今日は娘の家庭訪問だ。

この機に、できる限り、片づけの続きをする。
昨日も、根をつめた原稿書きで筋肉痛になっていたので、片づけに専念した。

違った筋肉を使うので、かなりほぐれた。


きれいな部屋は気持ちいい。


早く、手軽に、ささっと片づけができる体制を作りたい。

エクステリアも、気になる。
次の段階に行くには資金が必要なのだが、それでも、無理のない実験は続けなければ。

最近、もみじの新芽が出てきて、デッキやエクステリアテーブルに影を落とす。
まるで、カタログに出てくる風景だ!

本当に、それだけでも癒される。

これに、緑が追加されたら、自然の偉大さに気づく人が多いだろう。
何事も経験してみなければわからないことがあるのだ。


「時間」


無駄にしてはならない。
時間を作り出す訓練!
有効に使う訓練!
これからも継続する。


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